2010年5月18日火曜日

第4回新自由主義とは何か(3) ―科学的経済学を主張するマルクス経済学ー

 前回、物理学が自然科学の王と称されるに擬して、経済学は社会科学の女王として、人間の恣意を超えた、自然法則としての経済法則を求め研究されてきたことを示しました。
“科学的”経済学を強く主張したもう一つの学派は、マルクス経済学である。歴史観や哲学を包摂して膨大でかつ緻密なマルクス経済学の体系に対して多少無謀であるが、本稿のテーマとの関連において、極く大雑把に要約して私の理解を述べておきたい。

 カール・マルクス(1818~1883年)とフリードリヒ・エンゲルス(1820~1895年)は、サン=シモン(仏1760~1825年)、ロバート・オウエン(英1771~1858年)、フランソワ・フーリエ(仏1772~1837年)が、人道主義的思想に基づいてそれぞれが行い、結局失敗に終わった社会主義的企業経営の実験を、「空想的社会主義」(ユートピアンソーシャリズム)と激しく非難し、マルクス経済学こそは、科学的社会主義であると主張した。

 マルクスは、「経済学・哲学草稿」(1844年)、「経済学批判」(1859年)、資本論(1部1867年。2部3部はエンゲルにより発刊)などにより、アダム・スミスやリカードから引き継いだ労働価値論を発展させながら、資本主義制生産体制では、労働者は自己の労働により生み出した価値を資本(家)により搾取される。労働者は、搾取されて窮乏化する。一方で、資本は限りなき利潤を求めて自己増殖し、資本はますます蓄積し巨大化し、独占状態に至る。後世のマルクス経済学研究では、国家権力を巻き込んで支配し、国家独占資本主義に至る。資本はますます蓄積拡大する一方で、労働者は窮乏化し、矛盾飽和点に達すると、ついに、社会主義革命が起こる。これが、資本主義経済の運動法則である、との主張であった。

 そして、そのような革命は、資本主義が高度に発展し矛盾が飽和点に達し起きる<注1>と予言したが、実際に革命が起きたのは、資本主義が最も遅れた地域の、ソ連(1917年10月革命)、東欧、中国(1949年)、北朝鮮(1948年)、キューバ(1961年)などであった。これらの革命は歴史発展の運動法則の結果であったのかどうか、大きな論争を生んだが、事実としては自然法則としての現実ではないことが明らかであった。

 <注1>:資本主義が高度に発展し矛盾が飽和点に達し起きるとの予言は、たとえば、マルクス「経 済学批判」序言(1859年)に曰く。「一つの社会構成は、社会構成は、すべての生産諸力がその中で はもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度 な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとっ てかわることはけっしてない。」

 また、労働価値説(剰余価値説)は結局現実には当てはまらないし検証されないのであり、科学的法則ではなく、価値判断を持ち込んだ「イデオロギーに過ぎない」という趣旨の多くの批判と論争があった。イデオロギーという言葉は、科学としての自然法則ではなく、人間の価値判断を含んだ人間の思考・観念である。科学的な自然法則ではなく、人間の恣意的なイデオロギーであるというのである。

 そして、フリードリヒ・ハイエク( オーストリア1899~ 1992年)やミルトン・フリードマン(米1912~2006年)の新自由主義者は、平等を重視する社会主義(共産主義)社会を執拗に攻撃していた。フリードマンは、「自由よりも平等、という社会は、そのどちらをも得ることが出来ない。平等よりも自由、という社会はその両方であふれる」(「選択の自由」1980年)、と説いた。

 1980年ごろは、前年79年に英国でサッチャー政権が新自由主義政策を導入し、81年にドナルド・レーガン政権が米国に導入した時代であるが、当時は、新自由主義の猛威と弊害について私の問題意識は薄く、むしろ、フリードマンが主張する、計画経済がうまくいかないことや、官僚の弊害に共感を持っていた。私も、計画経済や統制経済がうまくいかないことは、人間の自由を保障する限り自明であり、当時の自由競争を妨げるさまざまな過剰な規制とそれを墨守する官僚に抵抗感があったからである。政府の規制は、ますます規制が自己増殖したり、一度決めると時代に合わなくなっても、議員(政府)、業界、官界のトライアングルの利害関係が出て、変更が難しいのである。

 過剰な規制は幣害があるが、一方で、過剰な規制の撤廃や節操のない自由主義も同様に副作用が劇的に大きく、社会を混乱させるのである。人間社会の調和や均衡は中道にあるようである。
(続く)

2 件のコメント:

  1. 長谷川 節子2012年1月10日 20:37

    政府の規制は、ますます規制が自己増殖したり、一度決めると時代に合わなくなっても、議員(政府)、業界、官界のトライアングルの利害関係が出て、変更が難しく、過剰な規制の撤廃や節操のない自由主義も、社会を混乱させる。と有りますが、その通りだと思います。今正にその混乱期で、国民は規制撤廃を求め、既得権を手放す事を恐れて、益々国状が身動き出来ない状態となっているという事を指摘しているのですか。1980年代と進歩が無いと言うのですね。

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  2. 長谷川様

     的確なコメントありがとうございました。
     第4回の最後の結論的な段落(パラグラフ)における、ご理解は、全くそのとおりです。
     過剰な規制は、「政府の失敗」として語られ、他方で、過剰な自由化は「市場の失敗」で語られます。
    どちらも完全でなく、欠陥があるというとです。

     自由化すれば全てうまく行くわけでもなく、自由競争市場は、各人には弱肉強食的に格差や貧困をもたらしますし、他方で、暴走してリーマンショックのような重大危機をもたらします。

     こうした弱肉強食や暴走などの弊害を除去・緩和するために規制が絶対的に必要です。しかしながら、その規制も常に見直さないと、硬直的になり、規制の弊害を引き起こします。

     両者のバランスをとる選択判断は、容易ではありませんが、避けて通れない問題です。さらに、一度作った規制も時代の進展と共に変更進化が必要で、普段の見直しが必要です。

     なお、第4回の最後の結論的な段落における、「政府の規制」と「規制撤廃の自由化」の論議は、結論を先取りして、やや中途半端な記述なっておりますことをお詫びいたします。この後、第5回、第6回、さらに第8回でも敷衍しておりますので、あわせてご覧いただきたいと存じます。

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